保育

保育をする上で大切な「言葉」と、言霊の力

皆さん、こんにちは。保育士のだいちです。

今回は、保育をする上で大切になる「言葉」と、ややスピリチュアリズムを含むかもしれませんが「言霊(ことだま)」の力について考えたことがあるので、それらについて綴っていきたいと思います。

なぜ保育をする上で「言葉」が大切なのか

保育をする上でなぜ「言葉」が大切になってくるかと言いますと、乳幼児期に日常的に耳から聞いた「言葉」は、その後の人格形成において大きな影響を及ぼすことになるからです。

乳幼児の心の中にある「言葉のバケツ」

第一に、まだ話すことのできない乳幼児がどのようにして話せる様になるまでの過程を自分なりに解釈してみます。

子どもたちの心の中には「言葉のバケツ」というものがあって、身近な人たちから色々な言葉を掛けてもらうと、そのバケツの中に言葉が溜まっていきます。そしてそのバケツが一杯になって溢れた時に、発語が起こるのだと私は考えています。

ですから、バケツの中に温かく優しい言葉が溜まるのか、それとも残念な事に冷たく意地悪な言葉ばかりが溜まってしまうのか、それは私たち大人の言葉掛けにかかっています。明るく望ましい結果が得られる様に、私たち大人はよく考えて子どもたちに接していかなければならないのです。

バケツの中に温かく優しい言葉が溢れた子どもは、他者に対しても温かく優しい言葉を掛ける様になります。反対に冷たく意地悪な言葉が溢れてしまった子どもは、他者に対しても冷たく意地悪な言葉を掛けるようになってしまうのです。

子どもたちに温かく優しい言葉を使って欲しいのならば、まずは私たち大人がその様な言葉掛けを意識していかなければなりません。

言葉は子どもたちの自己肯定感(自己否定感)に影響を与える

第二に、乳幼児期に掛けられた言葉が肯定的なものなのか、それとも否定的なものなのかという違いによって、その後の子どもの自己肯定感(または自己否定感)は大きく変わってしまいます。

乳幼児期に肯定的な言葉を多く掛けてもらった子どもはしっかりと自己肯定感を育み、その後も胸を張って生きていけるでしょう。これこそが「生きる力」であると思います。

しかし、残念な事に否定的な言葉ばかり掛けられてしまった子どもは自己否定感が強くなり、その後も失敗が続いてしまったり、失敗を恐れて無気力になったりしてしまいます。

ただ、事あるごとに「お利口!」、「天才!」、「頭良い!」などと大袈裟に褒めまくる事が必ずしも肯定的な結果を得られるとは限りません。子どもなりに「自分はお利口だと思われている(期待されている)から失敗するわけにはいかない」と失敗を恐れるようになってしまったりする事もあるのです。

ですから自分の場合は、何らかの良くない行動(廊下を走るなど)について諭した時にそれを子どもがよく聞いて行動に移してくれた(走るのをやめて歩き出したなど)時は、「お利口だね」ではなく「話をよく聞いてくれてありがとう」と伝えるようにしています。これなら子どもを無条件に持ち上げる事(=期待値を過度に上げる事)はせずに「相手を喜ばせた」という肯定感を育む事にもなると考えています。

そういった子どもの自己肯定感(自己否定感)を考えると、一斉保育オンリーというのは最悪の保育方法であると私は考えています。

ワークや制作、または一斉の体操遊びで「じっと座って大人の話を聞き、その通りに行動できるか」という面ばかりを評価してしまうと、どうしてもよく出来る子どもとそうでない子どもとの格差が出来てしまいます。そしてそれが続くと、自然とクラスの中でも格差が生じ、「お利口さんグループ」が上手く出来ない子を「あの子、いつも先生に怒られているよね」と見下すようになってしまうのです。

もちろん小学校へ上がれば一斉授業が基本形式ですから、そういった面を強化する事も大切ではあります。しかしそれに固執し過ぎてしまうと、上手く出来ない子どもの自己否定感が強くなってしまうのみならず、クラスの人間関係までも悪化させてしまうのです。

大人でも各々の得意・不得意は千差万別である様に、子どもにだって得意な事もあれば不得意な事もあるのです。一斉保育の一面だけで子どもを否定したりせず、各々の得意な事を見つけて、本人がそれを伸ばしていけるような関わりを大切にしたいですね。

強力な力を持つ「言霊(ことだま)」

次に、ややスピリチュアリズムを含むかもしれませんが「言霊(ことだま)」について綴っていきたいと思います。

言霊とは

古代より人々は「言葉には霊力が宿る」と信じてきました。その為に、神道における祝詞(のりと)、仏教における念仏、または邪教における呪詛(じゅそ=呪いの言葉)などが生まれてきたわけです。

上記の例でも分かるように、言葉に宿る霊力には善いものも悪いものもあります。そして、最終的にその霊力の影響を受ける事になるのは自分自身であると私は考えています。

その事を表す諺が、「情けは人の為ならず(=人の為にした事は巡り巡って自分の為になる)」、「人を呪わば穴二つ(=人を呪ったなら必ず自分にも報いが来る)」、「天に向かって唾を吐く(=他人に害を与えようとすると、かえって自分が被害を受ける)」などだと思います。

言霊は必ず自分に返ってくる

子どもに限らず、誰かに対して温かく優しい言葉を掛けた時、その相手も心が温まるかもしれませんが、一番温まるのは自分自身の心でしょう。反対に、誰かに対して冷たく意地悪な言葉を掛けた時、一番冷え切ってしまうのは自分自身の心でしょう。

だからこそ他人に対して掛ける言葉は軽い気持ちで安易に口に出さずに、よく考えて発した方が良いのです。

そして言霊は、直接他人に掛けた言葉にのみ宿るものではありません。例えその相手がその場にいなかったとしても、口から出た言葉には言霊が宿るのです。

つまり、陰口を言えば必ずその言葉に宿った言霊が自分に返ってきて自分自身が痛い思いをする事になるわけです。そうならない為にも、その本人がいないところでも決して悪い言葉は使ってはいけません。

日頃から「日向口(または陽口=ひなたぐち)」を言う様に心掛けると良いかもしれません。もしかするとこれは陰口の対を表す造語なのかもしれませんが、とても良い言葉だと思います。意味は、その人のいない所でその人の事を褒めるのです。陰褒めとも言われますね。

言霊が自分に返ってくるという点でも重要ですが、人は直接褒められるよりも「あの人があなたの事を褒めていましたよ」と伝わってくる方が嬉しく思う様です。陰口や愚痴を言わない代わりに日向口を言う様に心掛ければ、目に見えて生活が変わってくると思うので、私自身も今日から実践してみようと思います。

他にも、口から出ずともSNSなどで書き出した文章にも言霊は宿ると私は考えています。ですから、文章という形であっても誰かを悪く言う事はしない方が良いのです。

保育士には言霊を活かすチャンスが無限にある

保育士の仕事というのは、常に子ども・保護者・同僚など誰かと話しているものです。「黙々作業」の対極を行く仕事ですから、言霊を活かすチャンスも無限にあります。

逆に言えば、言霊の力をよく考えずに仕事をしていると悪い影響を受けるリスクも無限に存在するという事です。

常日頃から、温かく優しい肯定的な言葉を発するように気を付けたいと思います。